« | »

小説の冒頭で気をつけるポイント

今回は、小説を書く上で意識しておきたい、
大切な感覚についてお話をしたいと思います。

それは「ひとつの言葉から、どこまでをイメージ出来るか」です。

これは特に長編を書く場合に出てくる問題です。

と言いますのも。

小説というのは、完全に文字だけで出来ているものですので、
極論を言えば(実際は多少のアレンジが可能なのですが)
「書いていないものは読者のイメージに任せるしかない」という特性があるのですね。

例えば、主人公が駅を降りて学校へ向かうシーンで
こういう表現があったとしますね。

「僕はその駅で降りた。そして改札を出て、学校へと続く通りを歩いた」

さて。
この一文を見て、どんなシーンをイメージされたでしょうか?

よくイメージをしてみてください。
(どんな光景かを想像してください。映画のワンシーンを
 ご自分で想像してみてください)

これは、もし今お近くに誰かがいらっしゃれば、
その方にも見て頂き、一緒にイメージをしてみると効果倍増です。
(そうされる場合は、お互いにイメージが出来上がるまでは
 相談しないでくださいね)

イメージ、出来ました? …よろしいですかね?

(イメージが出来上がれば、この先をお読み下さい)

はい。

では考えてみましょう。

まずこのシーンを書くにあたって、当然ですが、作者の私にも
ある光景がイメージ出来ています。

私がイメージしたのは、
東京駅や大阪駅のような大規模な駅ではなく、地方の小さな(静かな)駅に降りて
民家や古びた商店街を抜けて歩いていく大学生です(当然、私服です)。
時間帯は、学校が始まる時間を少しズレているため、ほとんど周りに人は
おらず、一人で歩いているようなシーンです。

こういう光景をイメージしながら書いています。

…いかがでしょうか?

先ほどあなたがイメージされたシーンと、どの程度似ていますか?

完璧に同じだった、という人はおそらく少ないでしょうね。

一言に「駅」と言っても、
東京駅のような混雑した所を想像されたかも知れません。

「通りを歩いた」と言っても、
古びた商店街ではなく、相当混雑した交差点などを想像されたかも知れません。

今、高校生の方でしたら、主人公は制服を着ているシーンを連想されたかも知れません。

天気については全く書いていません。
もしかすると、雨のシーンを想像された方がいらっしゃるかも知れません。

そう。この
「僕はその駅で降りた。そして改札を出て、学校へと続く通りを歩いた」
という表現。

実は恐ろしいくらいに言葉足らずなのですね。
何とでも解釈出来てしまう。どういうシーンにでも出来てしまう。

もし、ここを読んでいる友人さんがいらっしゃるようでしたら、
今度この表現について「どういうシーンをイメージした?」と
聞いてみてください。

おそらくは、私のイメージとも、あなたのイメージとも
全く違うシーンが出てくるかと思います。

これが、「ひとつの言葉から、どこまでをイメージ出来るか」の意味です。

小説には一つの限界があります。

それは、映画のような「拘束力」がないという点です。

映画の場合、映像が全てを語ります。主人公が駅を出て歩いているシーンなら
主人公の背景が映っていますので、どんな駅か、どれくらい人がいるか、
天気はどうか、時間帯はどうかは、いちいち説明しなくとも
全てが映像の中に盛り込まれています。

つまり、観る側の想像力を使う事なく、
「これはこういう場所で、こういう時間帯で、これくらい人がいる」と
観る方全員に同じシーンを与える事が出来る(拘束出来る)という事なんです。

しかし、小説の場合、どこまで詳細に書き込んでも、これは出来ません。

例えば今の表現にしても、
場所や天気や、人の多さをきちんと書き込んだとしても、
「何色の靴を履いているか」「髪型はどんな風か」「機嫌が良いのか悪いのか」は
読み手のイメージ次第です。これも人によってイメージが全く違ってくるでしょうね。

まず大前提として。

小説の場合、「読み手のイメージによって、全く違うシーンが見えている」という事を意識しておく必要があります。

これが小説の弱みでもあり、同時に最強の武器でもあるのですね。

まずこういう意識を持ってください。

そして、それを意識した上で。

では具体的に小説を書く場合に
一番気を付けなければならないのはどこかと言いますと、
それは「書き出し」の部分です。

小説の1ページ目の1行目です。
(ここが小説で一番難しいと言われる理由も、これなんですね)

要は、小説がある程度進んだ中盤や後半でしたら、
読み手の皆様も今までのストーリーで、およそのイメージが出来上がっています。

しかし、1ページ目の1行目は、何のイメージも持っていません。
空白の状態からスタートします。

ここで言葉足らずな表現をしてしまうと、書き手の伝えたい内容と
読み手のイメージとが大きくズレてしまい、後々に影響する恐れがあるのですね。

例えば、一番怖い例で申し上げますと。
小説の1行目に「私は駅を降りて、交差点に立った」
というような表現を持ってくる場合です。

この「私」がクセモノです。

「私」と言えば、普通は女性を連想されるでしょうが、
営業などをしている男性の場合、普段のトークで「私」という言葉を
長年使ってきていますので、この単語を見た時、「自分と同年代の男性」を
イメージしてしまう恐れがあるのですね。

こうなった場合、もはや最悪の状況です。

書き手は女性の事を書いているのに、読み手は男性をイメージしている。
一番大きなズレですよね。

ここまで大きなズレが発生すると、おそらく3行目か4行目あたりで(すぐに)
「あ、この主人公は男性じゃない。女性だ」と気付く事になります。

そうすると、せっかく1行目でイメージした光景を一旦壊して、
もう一度、女性が立っているシーンをイメージしなおす必要が出てきます。

これが読者様にとって一番の興ざめなのですね。

私も、昔から小説を読む時は、いちいちそのシーンを細かく映像にして
イメージしながら読んでいるタイプです。

そのため、出だしの書き方が悪い小説ですと
5ページ目、6ページ目と進むにつれて、「あれ、自分のイメージと違う」と
思ってイメージを作り直す作業が何回も発生します。

これが何度も続きますと、「もう良いや」と読むのを諦めてしまう事も
多々あります。

こういう事態を避けるためには、まずは
「この表現を読んだ時、読み手はどういうシーンをイメージされるだろうか」と
あらゆるパターンを考えてみる事が必要です。

これが何十種類ものパターンが出てくるようですと、
表現が曖昧すぎる可能性があります。
これが小説の冒頭にあった場合は特に危険ですので、
もう少し具体的な表現(拘束力のある表現)に変えていく必要があるかと思います。

まずは「この表現を見た時、どういうシーンをイメージするか」を考える。
つまり「ひとつの言葉から、どこまでをイメージ出来るか」を考える。

これが、スムーズに小説を進めるための
大切な文章法だと思います。

わりと忘れがちなポイントですので、どうぞご注意くださいね。