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「想い」と「技術」のバランス

突然ではありますが。

私、Mr.Children と宇多田ヒカルが好きなんですね。

曲の素晴らしさもそうですが、何よりも、この二人の作詞の感性と生き様が好きで聴いています。

いつものように、曲をかけっ放しで文章を書いていたある日。
Mr.Childrenの曲が終わった後、ふと考えました。

「もしこの曲が、Mr.Childrenではなく、他のアーティストによる作品だったらここまで感動するだろうか?」と。

皆様もそれぞれに好きな曲、詩、小説がおありと思います。
その作品に対して上のような質問をされた時、どのように答えるでしょうか。

私の場合、答えはおそらく「No」です。

何故かというと、私の中では、
Mr.Children の「作品」と「作者」がリンクしているからです。

例えば「イノセントワールド」のあの素晴らしい歌詞も、
桜井さんが書いて、桜井さんが歌うから価値があるのであって、
もしも作詞が桜井さんで、ボーカルが別の方であれば
おそらく聴いてはいないと思います。


『自分の言葉を、自分で語るから価値がある。
 他人の言葉であれば、いくら綺麗な言葉でも意味がない』

これは詩に限らず、小説でもブログでもメルマガでも同じかと思います。

文章というのは、会話のように表情も見える事もありません。
また、じっくり練った後で発表できるという性質もあり、
「嘘のつきやすい媒体」と考えられている節が(暗に)あるように思います。

しかし、実は文章には指紋のようにハッキリと、その人の特性が出てしまいます。

それはほんの一言であったり、
選んだ言葉の違いであったり
句読点の打ち方、一文の長さであったり、
あるいは、ささいな助詞・助動詞の使い方であったり
(特にここには人による違いが強く出ます)

場合によってまちまちですが、間違いなく、それはあります。

話は戻りますが。
私がMr.Children と宇多田ヒカルを好きな理由も、ここにあります。

TVや雑誌で見る、彼らの考え方や生き方。これと彼らの歌詞とが
完璧なほどに一致しているからこそ、好きなんですね。

彼らの歌詞が、本当に自分の心から出てきた本音だと思えるのです。

本当に人の心を惹きつける言葉は何だろう。

そんな事を考えた時、やはり「自分の想いを自分の言葉で語っている」事が
大切なではないのかな、と思うのです。

文章技術を学ぶ事もとても大切です。

しかし、技術にとらわれて自分の本当の想いを書けないのならば、
むしろ技術から一度離れてみた方が良いと思うのです。

技術だけがあっても、伝えたい事や想いがなければ
「上手いけどそれだけ」と言われてしまいます。

逆に技術がなくとも、嘘偽りのない強い想いをダイレクトに書いていれば
「文章はまだまだだけれど、強いエネルギーがある」と言われます。

そして。
両方がそろった時、初めて「愛される文章書き」になれるのだと思います。

私もそんな「愛される文章書き」を目指して、しっかりと書いていきたいなと考えています。

もし自分の目指すところがまだお決まりでないならば、
是非一度、自分が伸ばして行きたいのは
「想い」なのか、「技術」なのかをじっくりと
振り返ってみるのも良いきっかけになるかと思います。