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セリフの使い分け

さて、今回のテーマは「セリフ」についてです。

小説を書く際には、絶対に欠かせない要素の一つではありますが、
実際に書いてみると、結構難しい……というのは
皆さんご存じのとおりかと思います。

何故、セリフが難しいのかと考えてみれば、
やはり一番の理由は、「文字でしか表現出来ないから」でしょう。

マンガも映画も、基本的には
話している人間が誰なのかを説明せずとも、自然にそれがわかります。

しかし、小説では、それがわかりません。

このセリフは一体誰のセリフなのか。その説明がない限り
読み手の方々にはわかりませんよね。

ここに小説創りの大きな問題点があります。

それは、
「説明をしすぎると鬱陶しい文章になり、
 説明が少なすぎると、ストーリーがわかりにくくなる」
というものです。

少し具体的に見ていきましょう。
まずは例文を挙げてみますね。

 

<文章例1>

山田は、親友の川田と再会を果たし、二人は祝いの酒を酌み交わしていた。
「本当に久々だな。元気だったのか?」
山田が尋ねた。
「ああ、この五年、本当に色々あったよ。でもまあ、元気と言えば元気なのかな」
川田が答える。そして、更に続けて話す。
「俺はこんな状況だが、お前はどうなんだ?」
「俺はまあまあさ」
山田は言った。
「本当に変わらないな」
川田はそう呟いた。

 

……いかがでしょうか。

文章としては読めますが、ちょっと鬱陶しい感じがしませんでしょうか?

このケースでは、「~と言った」「~が尋ねた」「~が答えた」のように
誰が何を話したのかを説明する文章が非常に多く使われています。

このぐらいの短い文章であれば、まだ読めない事もありませんが
このペースで数百ページの長編を書いてしまったら、読み手の皆様は
「~と言った」「~が答えた」を何百回と読む事になり、
それだけでお腹いっぱいになってしまいますよね。

かと言って。
「~と言った」のような、誰が話したのかを説明する文章を省くとどうなるでしょうか。
 

<例文2>

山田は、親友の川田と再会を果たし、二人は祝いの酒を酌み交わしていた。
「本当に久々だな。元気だったのか?」
山田が尋ねた。
「ああ、この五年、本当に色々あったよ。でもまあ、元気と言えば元気なのかな」
「俺はこんな状況だが、お前はどうなんだ?」
「俺はまあまあさ」
「本当に変わらないな」
川田はそう呟いた。
 

……読めなくはありませんね。

しかし、ちょっとわかりにくい。特に、
「ああ、この五年、本当に色々あったよ。でもまあ、元気と言えば元気なのかな」

「俺はこんな状況だが、お前はどうなんだ?」
の部分がわかりにくいですよね。

この2行は、山田と川田が交代で話しているのではなく、
川田が連続して話しているパートです。

この2行に関しては、説明を省いてしまうと、「俺はこんな状況だが、お前はどうなんだ?」の
文章が山田のセリフなのか、川田のセリフなのかわからなくなってしまいます。

やはり、誰が話したのかの説明文を省き過ぎると良くない、という例ですよね。

では、「どういうバランスで書くのがベストなのか」と言われると
作風にもよりますし、ジャンルにもよりますので一概にコレ、と
言える答えはありません。

ただ、読み手の皆様の事を考えますと、
やはり説明は多いにこした事はありませんよね。
(その方が、情景がイメージしやすい訳ですから)

そして同時に、読み手の皆様の事を考えますと、
やはり言葉の数自体は少ないにこした事はありません。
(その方がスラスラ読める訳ですから)

そう考えると、
「出来るだけ多くを説明する」と「出来るだけ言葉の数を減らす」
という矛盾した2つを、同時にこなす方法が必要になってきますよね。

つまり、問題は
「どれだけの量の説明を入れるのか」ではなく、
「どれだけの説明を、説明せずに語れるか」になってくるのではないでしょうか。

何だか哲学の世界のように難しい話に聞こえますが、
これであれば、技術的な方法で、解決する事は(ある程度)可能です。

私の思い浮かぶ限りですが、
幾つか具体的に見ていきますね。

<説明の言葉を使わずに、説明する方法>

その1 :設定そのものから変える

上の例文がわかりにくい原因の一つは、
山田さんも川田さんも、両方が男で、どちらも標準語だからですよね。

もし仮に。
川田さんが女性だったら?  
あるいは川田さんが関西出身で、言葉は全て関西弁だったら?

自然と語尾が
「~なのよね」や「~だったわ」や
「~やねん」や「~やったわ」
などに変わってきますよね。

これであれば、「川田が言った」という言葉を説明せずとも、
自然とその言葉は川田さんのものだとわかります。

であれば、上の例で「~が言った」の類の説明文は
すべて省く事も可能ですよね。

その2 :動作を表す言葉へ置き換える

これが非常に有効で、実際、多くの小説の中で見られる手法です。

「~と言った」の言葉を使わず、
その代わりとして、動作を表す表現に置き換えてしまうのですね。

先ほどの例文を実際に変えてみたいと思います。
 

<例文>

山田は、親友の川田と再会を果たし、二人は祝いの酒を酌み交わしていた。
「本当に久々だな。元気だったのか?」
山田は、親友のグラスに酒を注ぐ。
「ああ、この五年、本当に色々あったよ。でもまあ、元気と言えば元気なのかな」
川田は陰鬱な表情を一瞬見せたが、すぐに笑顔を作る。
「俺はこんな状況だが、お前はどうなんだ?」
「俺はまあまあさ」
大雑把な答えで済ませると、早々にビールを口にする。
「本当に変わらないな」
川田は呆れた顔で小さくため息をついた。
 

「~と言った」、「~と答えた」という言葉を使わず、
すべて「注ぐ」や「ビールを口にする」や「ため息をつく」などの
動作に置き換えています。

こうすると、「~と言った」と使わずとも、
その言葉の発言者が、動作の主である事がわかりますから、
誰が話した内容なのかという説明を省く事が出来ます。

また、動作の内容を、その人の性格を表す動作などにすると、
性格や生い立ちの説明を省く効果がありますので、
なるべくそういったものを表す表現が良いかと思います。

上の例でいえば、川田の方は「陰鬱な表情を見せる」「呆れた顔でため息」という
少し神経質で苦労人な性格を動作で表し、逆に山田の方は
「酒を注ぐ」「大雑把な答えをして、すぐに飲み始める」というあたりから
おおらかな性格である事を表現しています。

こうする事で、「山田はおおらかな性格である」「川田は神経質な性格だった」という
説明も省き、動作でそれを表現している事になりますよね。

これは、「~と言った」という表現だけではなく
全ての文章で同じ手法が使えるかと思います。

基本的には、こういう考え方で
「説明は多く、言葉は少なく」を実践していく、
そして、その内容(質の高さ)を経験の中でレベルアップさせていく……、
それが小説の上達の肝の部分になるのではないのかなと思います。

基本は、
1.設定を変える事で、より良い状況を作っていく
2.言葉を置き換えていく事で質を上げていく

この二つに尽きるのではないかなと考えています。

セリフ回しに困った際に、ぜひお使い頂ければ幸いです。

あなたの創作が、ますます発展していかれる事を
心から願っております。