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小説における対立構図

さて、今回のテーマは「対立構図」についてです。

それについて語る前に、先日読みました本の中に、
「対立」にまつわる興味深い質問が書かれていましたので、
まずはそれをご紹介させて頂きますね。

その本に書かれていた質問は、このようなものでした。

『あなたは、この世で起こる全ての出来事には、一つの源がある
 (一つのものから出来ている)と考えますか?

 それとも、二つの相反する力 -善と悪、あなたの味方とそうでないもの-
 で出来ていると考えますか? 』

全ての物事を、どちらの考え方でとらえているか、という質問です。

……いかがでしょうか。

(前後の文脈なしで、いきなりこの質問では答え辛い、という点は
 承知の上ですが、メルマガの分量の都合上、前説明を省かせて頂きました)

この質問を通して、本に書かれていた内容は、
ざっくりまとめますと、このような感じになります。

 

<主旨>

世の中を「善か悪か、プラスかマイナスか、良いか悪いか」の2つの力のせめぎ合い、
対立の世界だと考えてしまうと、世界の全ての出来事は争いに見えるようになる。
2つに分かれていると考えている限り、全ての物事について、
片方を選び、相手側を消し去ろうとする(否定する)事になる。

この「選択」という戦いで、どちらかが完全勝利し、もう片方の選択肢が
この世から消えるという事はありえない。
光、善の側だけ受け入れるという考え方の人もいるが、結局、それらは
闇、悪を見下し、破壊しようとしている事と変わりない。

常に「どちらが優れているのか」と考え、
常に誰かと、何かと比べている世界。

人生の中の全てに「比較」が入って来るという事だ。

一方を友、一方を敵とする考え方を捨てた方がいい。

両方が必要で、「電子と陽子、昼と夜、男と女、生と死」のように、
この世界の存在に両方が不可欠と認め、受け入れる事が大切なのだ。

<主旨ここまで>

非常に哲学っぽい、抽象的な話ですので、賛否両論おありかと思います。

この内容をどうこう言うつもりはないのですが、
「生き方」を考える上では、大切な考え方かも知れませんね。

さて。

なぜこのような質問をしたかと言いますと。

確かに、人の理想の生き方としては、
「一方を敵、一方を味方」と考えずに、相手との違いを受け入れ、
互いに尊重しあいながら、争いを避けるという考え方が大切です。

しかし現実に、世間一般では、
まだまだ「世界は2つに分かれている」という考え方の傾向が
とても強いように思うんですね。

これは、小説の世界でも同じです。

小説には、必ず「これは善、それは悪。あなたは味方、彼は敵」という
対立構図が存在します。

もしこれが無かった場合、どんな小説になるかと考えてみますと。
例えばこんな感じでしょうか。

例1・ 恋愛関係にある彼と彼女は、仲良く同棲している。
    お互いに意見の違いはあるものの、相手にそれを押し付ける事もなく
    「お互いに違いがある」と理解し、それを受け入れている。
    そんな平和な毎日がこれからもずっと続くという物語。

例2・ ある強大が軍事力を持つ大国がある。その隣国も強大な軍を持ち、
    この2国は、それぞれに宗教も違えば、価値観も違う。
    何より、社会制度が根本的に違うため、相容れる事はまずない。
    その上、国境線が明確でない地区が残されており、解決の糸口が見えない。
    だが。両国は、お互いの文化の違いを理解し、相手を尊重しあう考えを
    持っていた為、2国間での戦争はなく、平和が永く続いたという物語。

……どうします?
こんな「平和な毎日」を延々と数百ページも書かれていたら(笑)。

間違いなく、途中で読むのを止めますよね。
私も読みたくはありません。

けれど。
私達の大半が、人生で求めているのは、こういう「平和で幸せな生活」のはずです。

にも関わらず。
それが小説になると、全く読みたくない。面白くない。
(それを求めているのに、それを読みたくない、という状態です)

人間の不思議さを感じるポイントと言えるかも知れませんね。

やはりどう考えても、小説には「対立関係」が必要だとわかります。

すると、そもそも「対立している状態」とはどういう事でしょうか。

もちろん、お互いに違いがある事は大前提でしょう。
その上で、お互いが「自分は正しい、相手は間違っている」と
(強いか弱いかを別にして)常に思っている事。

これがあるからこそ、その違いを
我慢するのか、押し付けるのか、相手を倒してしまうのか、
キャラクターによって選択肢が変わってきますし、それがストーリーになっていく訳ですよね。

違いがある。それを押し付けるのか、我慢するのか、
何かしらのアクションがある。だから物語になる。
そういう構図ですね。

ここまでは、小説を書いておられる方なら
改めて言われなくても、感覚的におわかりの内容かと思います。

今回、本当にお伝えしたい事。

それは、
「書き手自身が、その対立構図のどちらかの側に立っていないか」という問題です。

じっくり考えてみますね。

小説を書く場合、およそ大半の書き手の方は、
自分自身の考え方を、主人公に持たせます。

そして、最も近くにいる(あるいは多く接する)人に、逆の考え方や価値観、
立場を持たせ、その人を敵(あるいはライバル、彼氏彼女など)にします。

こうしますと。

主人公も敵も、それぞれのキャラクターを書くのは、書き手自身なのに、
書き手は主人公と同じ考え方ですから、明らかに
「書き手自身が対立構図の中にいて、明らかに主人公寄りの立場に立っている」
という状態になります。

この状態に気付かないまま、突き詰めるとどうなるか。
答えは簡単ですよね。

「自分の論理は正しい、相手は間違っている、だから成敗する」
そんな勧善懲悪ものの作品になってしまいます。

水戸黄門などを連想して頂ければ、わかりやすいかも知れません。
要は、正義の味方の黄門様が、悪の越後屋を成敗する(越後屋に正義はない)というお話です。

つまり。

書き手自身が、主人公と同じ考え方をしている以上、
どうしても主人公寄りの発想で書いてしまう。

そうすると、敵(ライバル)の考え方や価値観、論理がとても
曖昧になってしまって、筋が通らないですよね。
(そもそも、敵側の考えを作者自身が理解出来ていないケースもあります)

下手をすると、「ただ敵が必要だから、そこに登場させた」だけのキャラクターに
なってしまい、全く感情移入出来ないような事も想定されます。

こうなると、もう何の為にそのキャラクターがいるのか、そこから怪しいですよね。

小説というのは、対立構図から出来上がる作品です。

作品にはテーマがあり、そのテーマを表現するために、
主人公が登場します。主人公はテーマに沿って行動している訳です。

しかし、それだけでは弱い。
だからライバルが登場します。ライバルはテーマとは逆の行動を取ります。

その過程で、お互いの意見がぶつかり合う。
正しい部分もあれば、間違った部分もある。勝ちもあれば負けもある。

そうしたぶつかり合いのプロセスを経て、
何らかの結論(終末)へ向けて、ストーリーが収束していきます。

これが小説の基本構図です。

なのに、ライバル側の意見や論理が矛盾だらけだったり、曖昧だったりしますと
そもそもの「ぶつかりあう中で、余分な物が削ぎ落とされ、収束していく」という
小説のプロセスが成り立たなくなってしまいますよね。

こういった観点からも、対立する敵(ライバル)の側の
意見や論理、考え、価値観を充実させておく事が、
小説創りにおいて極めて重要なポイントになるのではないかと。
そう思うんですね。

ただ、そうは言いましても。
私達も人間ですから、いきなりそれを「意識しましょう」だけで
解決するのは難しいかと思います。

やはりトレーニングは必要ですし、何より
自分の考えを、時間をかけて両面から見つめる事も大切です。

とても時間のかかる事ですが、大切な事だと、本当に思います。

少し具体的に、明日から出来るトレーニングは何かないだろうかと思い起こしてみますと。

一つご提案できそうな物として、
「敵(ライバル)を主人公にした小説を考えてみる」
という方法があるのではないかと思います。

わざわざ紙に書かずとも、頭の中で考えてみるだけでも
これは十分に効果が出てきます。

これを行った結果、
「どうしてもその小説が成り立たない」
「違和感がある物にしかならない」
という状態なのであれば、それは敵側の考え方や生き方に無理があり、
キャラクターとして成り立っていないという事になります。

逆に、これが成り立つような修正や、追加が出来れば、
その作品が成り立った時、敵側の考え方や価値観、論理も
筋が通ったものに仕上がっているはずです。

もしよければ、試して頂ければと思います。

今回の内容は、意識や考え方の話ですので
すぐに実行出来る内容ではないかも知れません。

けれども、
「常に両方の側から物を見れる書き手でありたい」という
自分自身の想いから、長々と書かせて頂きました。

何かの機会に、思い出して頂ける事があれば、本当に幸いです。

皆様の創作の更なる飛躍を、心から願っております。