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創作の方向性がブレないためには

さて。今回のテーマは「小説の方向性」についてです。

とは言いましても、
あまりにもザックリした言い回しのため、どういう状況を想定した話なのかが、わかりにくいですよね。

今回、考えてみたいのは、作品を書き上げた後の訂正や、次回作の検討段階についてです。

例えば、あなたが苦労の末に
ようやく長編小説を書き上げる事に成功したシーンをイメージしてみてください。

当然、読者の皆様の感想がほしいですから、
サイトで公開したり、あるいは小説の批評サイトへ投稿して
皆様のご意見を募集したりしますよね。

すると、ありがたい事に、日本全国 あるいは海外からも
感想をたくさん頂戴する事になります。
 

その中には、
「良かったです、感動しました」というご意見があるかと思えば、
「全然ダメです。つまらない」というご意見もあります。

また、そういった全体的な感想ではなく、
「中盤のシーンの盛り上がりが足りないのでは?」や
「○×という表現がくどい。もっとあっさりした表現にすべきでは?」
といった、もっと具体的なご指摘を頂く事もあります。

かと思えば。先ほどと同じ、中盤のシーンや○×という表現について
「中盤が好きです」「○×という表現にセンスを感じます」という
全く逆のご意見を頂く事もあります。

 

このように、
同じ作品、同じシーン、同じ文章表現について
全く逆のご意見が届くケースが、結構多くあります。

すでに作品を公開されている方は、何度も経験されている事ではないでしょうか。

このような時、小説家としてどうすべきなのか。

答えは様々でしょうが、私はこんな時、
ある二人の開発者のインタビュー記事をいつも思い出します。

完全な答えではないでしょうが、ご紹介させて頂きたいと思います。

 

まず一つ目。
これは、ある海外の高級車メーカーの、開発責任者へのインタビュー記事です。
非常に長い内容だったのですが、まとめてみますと、以下のような感じになります。

 

<高級車の開発者インタビュー 概略>

「あの車の開発を行うにあたって、一般の方の声を集めるために
 多くのモニターの声を聞いた。
 『一体、どういう車だったら買いたいと思うか』というテーマで
 モニター同士に話し合って頂き、全体の意見をまとめて
 ひとつの車のデザインを完成させた。
 しかし、結果としてそのデザインを我々は採用しなかった。
 何故か?
 それは、あまりにも『平均的』な形になってしまったからだ。
 モニターの声は多岐にわたる。曲線が好きだという声もあれば
 直線的なデザインが好きだという声もある。
 これらの意見すべてを取り入れると、直線的とも言えず、
 曲線的とも言えず、非常に『中間的』な形の車になってしまう。
 これは、我々の目指す方向性ではなかった。
 だからこそ、今回の開発は、ある一人のデザイナーに責任をもってデザインさせた。
 あの車の美しい曲線は、一般の声からではなく、ある一人のデザイナーの
 頭の中から生まれた、偏ったデザインなのだ」
 

続けて、二つ目のインタビュー記事へ移ります。
今度は、国内のゲームメーカーの開発責任者インタビューです。

このゲームはロボットを題材にしたアクションゲームで、
作品中では、プレーヤーが自由に武器を選んで戦う事が出来ます。
その武器の中には、どう見ても「役に立たない」「無駄」にしか
見えない武器が幾つもあります。なぜそれがあるのか、という質問に対しての答えです。

 

<国内ゲームメーカーの開発者インタビュー 概略>

「前作の反省として、武器のラインナップに意外性がなかったと思います。
 だから、今作では、初めに『何だコレ?』って言われるものを入れようと
 あらかじめ意思統一しておきました。そういう事って、先に決めておかないと
 ギリギリになると削られてしまうんです。
 予算や締め切りに負けてね。
 でも、そこで『要るか要らないかだと要らないんだけど、でも要るんだよ!』と
 いうスタンスを保てたのは良かったと思います。
 
 僕自身は、ゲーム創りにおいて、
 『あえてバランスを崩すような要素を入れないとダメだ』と考えています。
 妙に整った形でまとまっていると、遊びとしての面白さがなくなってしまう。
 予定調和の中にはまった遊びなんてつまらないよね、と言われてしまう。
 思い通りになる映画とか、思い通りになるお化け屋敷なんてつまらないですよね。
 そこは、『ええ~!?』という要素がないとダメ。
 その上で、バランスも取れているのが美しい。
 例えて言えば、ヤジロベエみたいな感じでしょうか。
 フラフラしているんだけど、倒れないのが理想。倒れたらダメだけど、
 ピタッと止まっているのもダメ。この組み合わせの妙が、面白さだと思います」
 

……いかがでしょうか。

私は、迷った時、いつもこれらの言葉を思い出すようにしています。

ビジネスにおいては、
今でも「お客様は神様です」という考え方はあるでしょうし、
お客様の声を聞きながら、間違いを修正していくという方法は
まず正しいものだと思います。

それをそもそも否定する事はしませんが、
逆に「すべて言われたとおりに修正する」という事が正しいかと
言われると、答えは「No」だと思っています。

(念のために補足ですが、「良いです」という感想だけ受け入れて
 「悪いです」という感想は無視する、という意味でもありません。
 これは最もまずい手法ですから、避けた方が良いと思います)

要は、
「良いです」も「悪いです」も全てをひっくるめて、
そのご意見が、自分の目指す方向性にあっていて、
そのご意見を受け入れる事で、自分の行きたい方法に向けて
更にレベルアップ出来るものであれば、真摯に受け止め、
次回作に活かしていく必要があると思います。

 

 

また、
「中盤の盛り上がりが足りない、惜しい」
「○行目の表現は変えた方がいいのでは?」
「このキャラクターは要らないはず、他のキャラで代用できるのでは?」
といった、具体的なご指摘については、
更に慎重な検討が必要だと思います。
 

と言いますのも。

これらのご意見は、あくまで
「読者様の側からそう『見える』部分」
であって、それが、あなたの作品そのものにとって
本当に不必要なのかどうかとは、異なるからです。

先ほどのゲームメーカーの開発者インタビューにもありましたが、
私は小説の中に、ある程度の「無駄」や「遊び」や「尖った感じ」は
絶対に必要だと考えています。

こういった部分がもし無ければ、
必要な項目を最小限の文章で、ただ「伝える」という意味合いの
小説になってしまいます。

これは、小説が「他人の人生を体験する芸術」だという
本来の意味合いから、ズレてしまうように思うんです。
 

 

私達の人生では、必要な事が必要な順番で起きるだけではなく、
一見、「これって意味あったのかな」という体験や、時間が
たくさんあります。

これらも含めて「人生」ですし、私は
そういった部分が小説の中にも、ある程度は必要だと考えています。

こういった考えをしていますので、
具体的なご指摘を頂いた時は、
「この部分は本当に不必要なのか? 修正した方が良いのか?
 『要るのか要らないのかだと要らないけど、でも要るんだ』と
 自分が言い切れる内容なのか?」
と自問自答するようにしています。

もし自分自身が、「でも要るんだ」と言い切れないのであれば、
それは本当に自分が未熟なだけで起きたミスですので、
次回作では絶対に避けなければならないと思います。

しかし、「修正した方が良いのでは?」というご意見を頂戴したとしても、
一見、読者様からのそのように見えてしまったとしても、
それが「いや、無駄なんですけど、でも要るんです」と
言い切れるのであれば、それは貫いていくべき「あなたらしさ」ではないでしょうか?

非常に抽象的な内容になってしまって恐縮ですが、
小説を長く書き続けるためには、必要な考え方の一つではないかと思い、
今回のコラムとなりました。

これが正しい考え方だとは言いませんし、
読者様からのご意見、ご感想を次回作にどのように活かすかは
人それぞれのアプローチがあるかと思います。

しかしながら、全く正反対のご意見を
同時に頂いた時、あるいは非常に具体的なご意見を頂いた時、
その都度、ブレるのではなく、
自分「らしさ」を貫くという姿勢を忘れずに持って頂きたいという
強い思いを、少しでもお伝え出来ていれば、幸いです。

最後までありがとうございます。
皆様の創作が、更なる高みへ進まれる事を祈っております。