« | »

「ベタはダメ、クリエイティブが良い」の盲点

さて、今回のテーマは「ベタ」をどう考えるかについてです。

よく「ベタな展開」「ベタな設定」という言葉を使いますよね。

(この単語を聞くだけで、胸が苦しくなる程にトラウマ化されてる方も

もしかしたら、中にはいらっしゃるかも知れませんね)

この「ベタ」である事。あまり良い意味では使われませんが、

そもそも、「何故これが起きるのか」、

そして、「ベタは本当にダメなのか?」、

この辺りが、あまり触れられる機会がないように思いますのであらためて考えてみたいと思います。

 

それでは、まず「何故、ベタな展開や設定というものが起きるのか」です。

話や設定がベタになる、というのは、まず大前提として

「他の方が大勢使っている」「歴代の作品で、何度も繰り返されたパターン」

という事実がありますよね。
恋愛小説で言えば、シェイクスピアの時代から

「恋する二人が、家庭や環境のせいで結ばれず、愛ゆえに悲しい結末を迎える」

というパターンは、手を変え品を変え、何万回と繰り返されてきたパターンです。
これをそのまま使えば、おそらく

「ベタな展開だよね」と言われてしまうかと思います。

 
では、何故自分の書いた小説が、ベタになってしまうのか。

それは、自分がその「何万回と繰り返されたパターン」の作品を

何度も読んで、知った結果、そのパターンが

自分の身体に染み込んでいるからですよね。

小説に限りません。

映画でも、ドラマでも、漫画でも、同じです。
今まで触れてきた作品の持つ「パターン」。

それらは、意識しているか無意識かを問わず、頭の中に染み込んでいきます。

そういうパターンを頭の中に持っていますから、

案外、よくありがちなのが、

「そうだ、このストーリーなら良い作品になる」と

思いついたシナリオが、実は他の作品のモノマネだった、という出来事です。

 
小説を書いておられる方には、案外多い経験ではないでしょうか。
私は特に影響されやすい人間のせいか、

このパターンにハマるケースが多い方だと思います。

とりわけ、映画やドラマを観た後は、もう頭の中が

それらの作品で染まっていますから、そんな時に思い浮かんだシナリオは

大抵が、「ああ、主人公の性別と時代を変えただけで、パクリやん、コレ」と

あとで恥ずかしくなる物ばかりです。

 

つまり。
ベタな展開、ベタな設定になる原因、それは、

「頭の中に、他の作品を見て感動した、学んだ事が染み込んでいるから」という事ですよね。
感動したものに憧れ、学び、技術を上げる。

これは学習として素晴らしい事です。

しかし、小説で難しいのは、

「学習したものをそのまま使うと、ベタになる」という点かと思います。

学校では、学んだ事をそのまま記憶して、テストの時に

それらを再現できれば点数が上がります。
しかし、小説では、

「学んでいなければいけないが、学んだ事をそのまま使ってはいけない」

という矛盾があるように思います。

では、ベタの原因が

「頭の中に、他の作品を見て感動した、学んだ事が染み込んでいるから」

だとして、そのパターンから抜け出すには

どうすれば良いのでしょうか。

それは、まず「学んだ事を、無意識に使ってしまっている」という事を

しっかりと知る事ではないかと考えています。

それを自覚していると、自然と

「これは学んだ事を使っているのか?」と自分に質問するようにもなります。
これが、無意識にハマっているパターン、

つまり、過去に学んだ事を自動的に思い出してしまう「クセ」を

抜く事にもなるかと思います。
少し具体的に見てみましょう。
例えば、女の子が、自分の彼氏の頬をぶったシーンがあるとしますよね。

ここに噴出しがあって、「○○○○!」と書いてあります。

この○○にセリフを入れなさいと言われたら、何を入れます?

固定概念にとらわれがちな私などは

「バカッ!」とか「最低!」とか、そのくらいのベタな内容が思い浮かびます。

これって、恋愛小説やドラマで、そういうシーンを何度も観ていますから

何も考えずに、頭が自動的に「否定的な、けなす言葉を入れるんだ」と

無意識に思い込んでいるからですよね。


ここをもっと自覚的に、

「否定的なセリフのシーンばかり観たからそう思うだけで

実際、ここはもっと別のセリフでも良いんじゃないのか?」

と自分に質問してあげる事が出来れば、

きっと違う選択肢が浮かんでくるはずですよね。
例えば、○○にはこんなセリフだって入れられるはずです。

・「蚊がっ!」  ←彼氏の頬にいた蚊を叩いてあげたという事です

・「なんでやねん!」  ←ちょっと関西風味の強い女子がツッコミを入れている

・「元気ですかぁー!!」 ←猪木風に闘魂を注入している

 
……まあ、お笑いのネタのようになっていますが、

まじめに考えれば、違うシチュエーションも考えうるはずですよね。

 
要は、最初に浮かぶアイデアというのは、

「過去にどこかで見て、無意識に記憶していて、それを自動的に思い出している」

という物が、どうしても多くなりがちです。

逆に、それを自覚さえしてしまえば、

「自動的に、反応で思い出したものじゃなく、違うアイデアはないか」と

自分に質問して、更に違うパターンを引き出す事で

より「ベタではない」選択肢を考える事が出来るのではないかと思います。

 

 
では、ベタを回避する方法の一つのアイデアがこれであるとして、

次の質問ですね。

「そもそも、ベタは本当にダメなのか?」という点について考えてみたいと思います。
なんとなく、私達の頭の中には

「ベタなのはダメだ、もっとクリエイティブに行かないと!」

という価値観があるかと思います。

もちろん創造的である方が良いのですが、

創造的「すぎる」ものは、どうでしょう?
もし「創造的すぎる物」が想像出来ない場合は、

例えばGoogle で「現代アート」というキーワードを検索してみてください。

(画像検索の方が良いと思います)
出てくる検索結果は、とても創造的な、意欲あふれる作品ばかりです。
しかし、創造的すぎて、ちょっと見ただけでは、あまり「良さ」がわからない……。

感覚的には、ピカソの作品を観ている時のような感じでしょうか。
「どうやら凄いらしい、とは思うけど、どう『良い』のかわからない。

それならむしろ、普通の風景画を観ている方が楽しめる」

という感覚になりますよね。

 

創造的である事は必要ですが、

創造的すぎると、一般のお客様の理解を得られ難くなる。

ここが難しいところですよね。

答えはそのクリエイターによって、あるいは

どの方向性を目指すかによって、大きく異なるとは思います。

しかし、私が個人的に思いますのは、

「創造性は、ピンポイントで良い。それ以外の部分は、むしろベタな方が良い」

とすら考えています。

 
例えば。

ある恋愛小説で、主人公が大学生だったとしますよね。

春先の暖かい日、数百人が入る大きな講義室。

人数が多いため、自分が当てられる事もない。
しかも、自分はかなり後ろの方に座っていて、多少眠かろうが

サボっていようが、目立つ事もない。
そんなシーンで、大学教授の長々と続く、よくわからない講義を

話半分に聞きながら、今日の夕方のバイトの事を考える……。
ここで、大学教授のセリフで

「で、あるからして、この政治体制の崩壊の原因は……」

なんて事を言っているシーンがあったとします。

(そういえば、私も過去の作品でこういうシーンを書きましたね)

 
このシーンが小説の冒頭であったとして、

この部屋を出た所から、物語が進み始めるというような場合、

果たして、この講義のシーンに創造性は必要でしょうか。

私は必要ないと思います。

むしろ流すべき所ですので、極力、目立たない文体で、

目立たない設定、流し読みしても良いくらいの感じで書いていくかと思います。

何故かといえば、これが仮に恋愛小説だとした場合、

この大学の講義のシーンを「創造的で、凝ったシーン」にしてしまうと、

恋愛小説ではなく、政治小説になってしまうからです。

例えば、このシーンで

教授が極めて右翼的な考えの方で、学生の中に極めて左翼的な

考えの生徒がいたとして、彼らが口論さながらに、日本の政治の原点について

怒鳴りあっているシチュエーションに変えたとしますよね。

これを読む側からすると、

「恋愛小説なのに、何故こんな関係ないところで凝った作りになっているんだ?」

と思いますよね。
あるいは

「これって政治の小説? だったらもう読まないで良いや」

となるかも知れません。

本当に創造的で、リアルであるべきなのは、

この物語の重要なテーマに絡む部分であって、

小説の冒頭から、本筋に関係ない所まで創造的にしてしまうと、

作品としてブレてしまうと思うんですね。


私達の頭の中には、なんとなく

「創造的な方が良い。もっとクリエイティブに行こう!」

という価値観があります。

しかし、それが「全てが創造的であるべき」という思い込みにまで

発展してはいけないのではないかと。


私は、個人的にそう考えています。
価値観は価値観として大切にしながらも、

「全部が創造的でないといけない。ベタは全てダメなんだ」

という思い込みは、むしろ捨ててしまった方が良いのかも知れませんね。

今日も最後までありがとうございます。

あなたの創作の更なる発展を、心から願っております。