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「マニア化」しすぎた小説は読まれない

自作小説という物は当然自分で書くのですから、自分の好きなように書けます。

好きな様に書ける、とはつまり幾らでも自分の趣味に走って行けるという意味です。

ある意味で、それが小説の醍醐味でもあるのですが、同時に落とし穴でもあります。
全てに言える事ですが、やりすぎには注意が必要です。

 

自分の趣味にのみ走りすぎると、小説は一体どうなるでしょうか。

自分の趣味が入ると、そこに自分らしさが生まれます。しかし、中には入りすぎる例があります。
これは実際の、とある作家の作中にあった実話です。

 

<私の読んだ、マニアックすぎた小説の例>

主役は元レーサーという設定の小説でした。ある程度、そのレーサーの想いを伝えるためにマシンの説明やレーサーの経歴などを熱く語るのは必要な事です。
しかしこの作家さんは走りすぎた点があり、「どこのマシンが速い、あそこのマシンのエンジンは何気筒だ、ステア(?)の材質が何々で、グリップの度合いが云々…」と、3ページ以上に渡り、自分のこだわりを語りを続けました。

その作家さんには大変申し訳ないのですが、正直言えば、「退屈」が私の感想でした。

 

私に車の知識が全くない事が原因です。

その道の専門の方なら共感を覚えるのでしょうが、実際にその小説を読んでいる人の何割がレースマシンのスペックに詳しいかを考えると…。

やや危険ですよね。

(レースマシンのスペックを語れる人のみを読者として扱っている訳ですから、その小説がどれくらいの方に、読んで受け入れてもらえるものかは疑問です)

 

小説には独自性が必要です。

しかし、同時に、ある程度の一般常識の範囲で書かなければなりません。

しかし、あえて少しその範囲から出なければ個性が出ません。

 

なんとも矛盾した難しい点ではありますが、ひとつ大切なのは

「独自性だけに走るのでなく、片足はいつも一般常識の側においておくべき」

というスタンスではないでしょうか。

 

「独自性にこだわりすぎている」と思った時、思い出して頂けましたら、本当に幸いです。