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「セオリー通り」が名文を生む

文章にはセオリー(暗黙のルール)があります。

お客様への挨拶文ならば時候の挨拶から。
社内メールなら「お世話になります。~の件ですが」。
年賀状ならば今年の抱負。

文章には必ず使うべき言葉があります。社内文書で顔文字や「(笑)」なんて使いませんよね? 文章を書く以上、その内容が「この文体で書きなさい」と暗に要求する文体が必ずあります。

それが「セオリー」です。

 

セオリー通りに書くと、無意味な荒さがなくなります。
喪中の挨拶文が軽いタッチでは反感モノですが、セオリー通りに書けば、多くの方はそのまま内容を受け取ってくれるでしょう。
私個人としては、こういったセオリーは「まずその文章に入りやすくする」という効果があると考えています。

では。

そう。小説の書き方コーナーですからね。
「小説の場合これをどう考えるのか」ですよね。

小説を書かれている方の中でも結構悩まれている方が多いかと思います。

「小説は文章を使った芸術なのだから、セオリーを使った時点で終わりだ」という
意見もありますが、私個人としては、これには反対です。

小説でのセオリーと言えば、台詞の前に「●●は言った」と入れたり、
「うん」「ああ」などの台詞をなるべく使わない、といった方法などかなり
多数ありますよね。

こういった一般的な文をとにかく省き、どの文章も文学的な深い文にすると、
確かに一見すごい文学に見えるかも知れません。

しかし、文章はある意味でファッションと同じです。
全身ピンク色の人や全身シャネルのお姉さん…ちょっと嫌ですよね?(笑)

文章も同じです。
どこもかしこも文学的ではどこが大切なのかがわかりません。
文学でいう「うるさい文章」とはこの事です。

むしろ、あなたが一番訴えたい、「ここだ!」というシーンや台詞のみに文学的な表現を使い、後は一般的な文章にする方が、本当に大切なシーンが際立ちます。

村上春樹の文章を見ていると、華麗な表現があちこちにありますが、
これもファッションで言えば「いろんなブランドを付けているけれど、全体的に
まとまっていて格好良い」という世界レベルです。パリコレのモデルさんの
ような印象です。

これを、普通の方が同じように真似すると「全身ブランド男(女)」になってしまいます。


つまり。文学的な表現は、あくまでアクセントです。

文学小説を書いていると、どうしても表現に凝り、素晴らしい文をあちこちに
入れたくなります。しかし、あなたがせっかく素敵な文章を書いたとしても、周りも同じような文章ばかりでは、せっかくの素敵さが消えてしまいます。

有名歌手がスターだらけのNHK紅白に出ていても「ふーん」という感じですが、
もしその人があなたの地元の駅にいたら、…驚きますよね。

あなたも、スターのような文章が書けます。しかし、スターだらけになっては感動がありません。

 

普通の人しかいない駅(セオリー通りの文章)の中に一人だけ
有名人(素敵な文章)がいるから、目立ってより素敵に見えるのです。

 

まずはセオリー通りの文章を書きましょう。
そうして舞台を作り、その中にぽつんと一人、素敵な文章を入れてあげましょう。

それは、ラストシーンかも知れない。
あるいは一つの台詞かも知れない。小説の冒頭かも知れない。

それはどこでも構いません。
あなたが一番大切だと思う場所に、あなたの一番素敵な表現を持ってきましょう。